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最高裁判所第三小法廷 昭和53年(オ)1012号 判決 1979年2月20日

上告人

安部利雄

右訴訟代理人

松坂徹也

被上告人

佐藤定

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人松坂徹也の上告理由第一及び第三について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第二について

原審が適法に確定した事実関係のもとにおいては、建築工事の注文主である上告人としては、たとえ建築工事等についての専門的知識がなくても、右工事が施行されれば被上告人所有の本件建物に被害を及ぼすことを容易に予測し得たものというべきであるから、本件建物に被害を及ぼさないような措置を講ずるよう請負人に命ずべき注意義務が、また、もし請負人が右措置を講じないで工事を施行する場合には直ちに工事を中止させるなどの注意義務があるものというべきである。右注意義務を尽くさず請負人が工事を施行するのを黙過した上告人は、注文又は指図について過失があつたものといわなければならない。したがつて、これと同旨の見解に立ち上告人に対して民法七一六条ただし書の規定による注文者の責任を肯定した原審の判断は、相当であり、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(江里口清雄 高辻正己 服部髙顯 環昌一 横井大三)

上告代理人松坂徹也の上告理由

第一 <省略>

第二 原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

原判決は、本件工事の注文者である上告人に注文又は指図について過失があると認定しているが、右認定は民法第七一六条の解釈適用を誤つているものである。

原判決は、本件工事は被上告人家屋に密着して建てられていた旧建物を取毀して、その跡地に鉄骨ブロツク四階建アパートを建築するという内容のものであるということのみの理由で、上告人に対し被上告人家屋の被害の予見可能性及び、その防止措置をなす義務を認定しているが、右認定は極めて不当である。

すなわち、

一、上告人は鮮魚販売業を営んでいるものであつて、建築工事に関しては全くの素人であり、専門的知識、経験を有していないものである。

そこで、本件アパート新築工事を注文するにあたつて、上告人は請負人である訴外有限会社後藤事業所(以下訴外会社という)に対し、アパートは敷地内に建てること、階数は四階建とし、一二部屋作ること、工事代金は二、〇〇〇万円とすることを指示したのみで、設計図の作成から建物完成に至るまでの一切を専門家である訴外会社に任せた。

そして、訴外会社は設計図を作成し、大分県に対して建築確認申請をなし、適合の通知がなされ、工事に着工したものであるが、上告人は設計図の作成、建築確認申請にあたつて、訴外会社に違法な建築の指示をなしたり、虚偽の申請書を作成させたりすることなく、その手続の一切を訴外会社に一任し、具体的な工事も訴外会社の自主的判断に基づいてなされたものである。

確かに、本件工事は被上告人家屋にかなり隣接した位置にアパートを建築するものであるが、だからと言つて工事に際し被上告人家屋に被害が及ぶとは上告人において予測できるものではない。

土地事情の悪化した昨今においては、建物が隣接して建築されることは極めて多いものである。

従つて、本件の場合、特に一般の場合と異なつた特殊な建築というようなものではなく、上告人としては専門家である訴外会社において、被上告人家屋に迷惑をかけることなく工事を完了させるものと信じるのは当然のことである。

上告人としては、前記のとおり工事の一切を訴外会社に任せることを前提として訴外会社と請負契約をなしたのであるから、両者間の契約の内容としても、訴外会社において隣接する上告人家屋に被害を及ぼさないよう工事をなす義務を負つているものであり、上告人がその旨認識し、訴外会社において然るべく工事をなすと信じるのも又当然である。

又、上告人と訴外会社との関係は素人の注文者と専門の請負業者との関係の域を出るものではない。

上告人は前記のとおり専門的知識、経験が全くないのであるから、訴外会社に対し高度の技術力に基づく実質的指導力及び、労務支配力はなく、指揮、監督の関係にはないものである。

以上の事情のもとに、上告人は一切を一任した訴外会社において、被上告人家屋に被害を及ぼすことなく工事を完了させるものと信じていたものであり、従つて、上告人には被上告人家屋の被害について予見可能性はないものである。

二、仮に、上告人にその予見可能性があつたとしても、

(1) 被上告人瓦の損傷、雨漏りについてまでの予見可能性はないものである。

本件工事により建設されるアパートと、被上告人家屋とが隣接していることによつて、万一、予測される被上告人家屋の被害は、せいぜい建築工事にあたつて隣家としての受認限度の範囲内にある資材等の接触による被上告人家屋の外側部分の軽度の損傷であり、本件工事のついでにわずかな費用と手間で修復可能なものにすぎない。

従つて、被上告人瓦の損傷、雨漏りについてまで上告人に予見可能性はないものである。

(2) 又、上告人には予見可能性があつたとしても、その防止措置をなすべき義務はない。

すなわち、上告人において予見可能ということは特段の事情のない限り、当然に専門家である訴外会社においても予見可能であり、しかも、予見可能の程度も上告人より極めて高いものである。

そして、本件の場合、上告人において予見可能であるが、訴外会社において予見することができないような事情はなく、上告人においてのみ予見できた事情が、訴外会社に知らされておれば他の工事方法を決定する等して被上告人に被害を与えずにすんだという事情はないものである。

かかる場合には、あえて上告人に対し損害防止のために必要な措置を講ずるよう訴外会社に注意すべき義務および、訴外会社の損害防止措置を施行しない工事を中止させる義務を課すことは全く無意味である。

さらに、本件工事の途中において、上告人は被上告人より本件工事による被害の発生の申立及び、それによる本件工事の変更、中止及び、被害の回復の請求を何ら受けていないものである。

上告人、被上告人間には土地の境界に関して紛争があつたため、被上告人はそのことに関し上告人に対し文句を言つたことはあるが、本件工事及び、それによる被害に関しては全く何らの申立等なされていないものである。

又、工事の途中において大分県より工事の中止命令あるいは、工事方法の変更命令等何らなされていない。

従つて、本件工事の途中において、新たに上告人に対し前記各注意義務が課されるような事情の変更はあつていないものである。

又、本件工事の途中においては被上告人家屋には一見明白な具体的被害は発生していない。

工事の途中において、基礎工事による地盤沈下に伴う建物の傾斜、壁の亀裂の損壊等、一見明白な具体的被害が発生している場合においては、上告人に対しその防止のため前記各注意義務が課される場合もありうるが、本件の場合、かかる事情は全く存しないものである。

従つて、上告人には被上告人家屋の被害の防止措置を講ずべき義務はない。

三、上告人は本件工事に際し、訴外会社に対し特別の注文あるいは、具体的な指示は与えていない。

前記のとおり、上告人は注文に際し、訴外会社に対して、敷地内に一二部屋のある四階建アパートを代金二、〇〇〇万円で建築することを指示したのみで、設計図、工事仕様書を作成したり、それに関与したり、また、被上告人家屋とアパートの間に落下物防止措置を施す余裕も足場を組む余地もない位置にアパートを建築するように指示したり等何ら具体的な指示は与えていないものである。

又、前記のとおり本件工事の途中において、被上告人あるいは大分県より工事中止、変更の申し入れ命令がなされておらず、かかる申し入れ命令に反して工事を強行させたというような事情も全くない。

従つて、上告人には本件工事に対して訴外会社に対して特別の注文あるいは、具体的指示をなしたことによる過失は存しないものである。

四、仮に、上告人に注文又は、指図に過失があつたとしても訴外会社のなした行為は建築用の資材や道具を被上告人家屋の南西側屋根に落としたこと及び、右屋根に乗つて建築資材を運搬したことであり、右各行為は上告人と訴外会社間の請負契約において、請負人として債務の本旨に従つたと認められない行為であり、上告人においても訴外会社の作業員がかかる行為をなすことなど予想することができないものである。

従つて、かかる行為によつて発生した損害について、注文者である上告人には責任はないものである。

しかるに、原判決は不当にも上告人に対し、被上告人瓦の損傷、雨漏りについての予見可能性及び、損害防止措置を講ずべき注意義務、損害防止措置を施行しない工事を中止させる注意義務及び、特別の注文、具体的指示をなした過失並びに、上告人の賠償責任を認定しているものであつて、右認定は民法第七一六条の解釈適用を誤つているものであり、これは判決に影響を及ぼすことが明らかである。<以下、省略>

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